本日
- ビルニュス宿チェックアウト
- ビルニュス1日観光
- ビルニュスからリガ・ラトビアに移動
- リガ宿チェックイン
本日はリトアニアの首都ビルニュスを観光した後に、この旅16カ国目であるラトビアの首都リガに入国した。
宿のHello Vilnius Hostelは11時チェックアウトだが、街を廻るため1時間早く出た。バック宿預けは4€。ピックアップしていたスーパーが途中あったので、立ち寄り飲み物、菓子、ブランチ用の食品、歯磨き粉などを購入。昨夜の様子だと到着後はどの店も開いてないだろうと見越して食品を買い込んだ。
GoogleMAPでピックアップしていた観光スポットを全て廻り16時半。イタリアン、CASA DELLA PASTA - Vokiečių g. 13に寄ってから宿に戻り18時。バックを受け取り、宿の叔母様にご挨拶し、予定通りバスターミナルにはリガ出発の30分前に到着した。
バスは予定通り18:45出発。ひたすら見晴らしの良いバルトウェイを北上していく。89年にこの道では「バルトの鎖」というバルト諸国の200万人による平和デモがあった。結果、91年に独立を手にしている。このバルトウェイがまた素晴らしい景観。遮るものがなく、夕陽、雲、草原、まばらに過ぎていく家屋、車窓からの景色はとても素晴らしい。あっという間に22:43にリガへ到着した。
宿のTree House, Hostelまでは徒歩で15分。ブッキングの宿からのメールを辿りながらセルフチェックを済ませた。このセルフチェックインだが、部屋に辿り着くまでに、暗証番号、二つのキーの設置場所、該当の部屋番号、ベッド番号、キーの用途など、ダンジョンゲームの要素があり、これがなかなか面白い。23時半頃無事にチェックインを済ませた。
リトアニアを振り替えると、杉原千畝副領事のことを知った。杉原千畝記念館 Sugiharos fondas ,,Diplomatai už gyvybę"はカウナスというビルニュスの隣町にあるため、記念館には時間の都合上、訪問はできなかったが、杉原千畝氏の功績が現在のリトアニアの親日感情に繋がっていることを知ったのは大きい。また、貿易や政治面でも関係は良好のようだ。今回の旅で知り得たことの一つは、東ヨーロッパ諸国と日本との繋がりである。私が知らないだけで、日本は数十年前から政治的にも経済的にも東ヨーロッパ諸国との関係を続けているということである。
リトアニアでもう一つ訪問したのが、未承認国家のウジュピス共和国である。97年に独立宣言したようで、以降観光地として有名になった様子。結局、現地通貨などは手にすることはなかったが、独自の憲法、国旗、エリアなどがあり、そこには人々が住んでいるのは興味深い。
リトアニアの経済について、経済成長率2%、人口約282万人(IMF2022年)。1人あたりのGDPは25,036ドル(IMF2022年)≒3,621,369.77 円。観光という側面でみれば、街は今まで廻ってきたどの都市よりも良い意味で過ごしやすいと感じた。あまり観光客でごった返していない上、市庁舎などでは無料で使えるトイレもあったり、無料で見れる場所も多かった印象。有料場所でもさほど高くなく、また食事やレストラン、カフェもそこまで高いという印象はなかった。アジア人はあまり多くは見かけなかった。街の作りは広々としており、あまりごちゃごちゃしていないのが良い。店は22〜23時で閉まる。コンビニは殆ど見なかった。その点、リガに来て思うのは、夜比較的遅くまで開いている店が多い。
別件だが、現在ユーロ対円で円がだいぶ戻ってきている。1 ユーロ 156.68 円。私が欧州に入った時は170までいったので、だいぶマシになっている。ちょうどトルコにはいったのが7/9なので、1€175円まで行っていた。しかし、この1ヶ月でだいぶ良くなり、156円。年間で見ると一番高い時に私はヨーロッパに入っていたみたいである笑。
明日
- リガ宿チェックアウト
- リガ1日観光
- リガ・ラトビアからタリン・エストニアに移動
- タリン・エストニア宿チェックイン
以下今週スケジュール。
- 8/8 朝〜夜 タリン廻りヘルシンキ・フィンランドへ
- 8/9 朝〜夜 ヘルシンキ廻り夜便か翌日朝便でフランクフルトへ